旧約聖書のノアの方舟で生き残ったノア達はそれからどのように子孫繁栄していった...

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ID非公開さん
2020/09/04 02:20

旧約聖書のノアの方舟で生き残ったノア達はそれからどのように子孫繁栄していったのでしょうか?全世界を飲み込んだ津波でノア達を始め様々な動物のつがいを方舟に乗せたとあります。人間はノア達だから近親間で繁栄

してったのでしょうか?

他の答え


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fur********さん
2020/09/04 11:31

セム・ハム・ヤフェトとそれぞれの妻の間に生まれた子供同士で結婚したのです。 この頃はまだ人類の寿命が長かったのであっという間に増えたでしょう。


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dol********さん
2020/09/04 09:38

ノアの方舟物語は、お手本のある作り話しですが、下手なストーリで貴方の言うように子孫は近親相関によって出来たことにになりますね。 聖書のお手本 1、バビロニア神話と創世記 双方とも「創造の前には水だけが存在。 無形、空。 昼と夜が「光」を生み、「時」を司る発光体の誕生を進める 『エヌマ・エリシュ』:神々6世代で世界を創造 『創世記』:6日間で世界を創世創 マルドゥクは6日目に人を土から創世。 エロヒムは6日目に人を創世 マルドゥクは、人の創世の後、休息。 エロヒムは、人の創世の後、休息。 バビロニア神話 若さを取り戻す魔法の植物を盗む。 → 不死を失う。 。創世記 神の警告に反し、蛇は「それを食べても死なず、神のようになる」とイブに話す(創世記3:4-5)。 → 不死を失う。 2、ノアの方舟・バベルの塔・創世記は紀元前3800年ごろのシュメール神話が原形です。 鳩は立ち去ったが、舞い戻ってきた。…私は大烏を解き放してやった。大烏は立ち去り、水が引いたのを見て、ものを食べ、飛び回り、かあかあ鳴き、帰ってこなかった。そこで私は…、生け贄をささげた。」(ギルガメシュ叙事詩の洪水物語、高橋正男訳) 聖書にも大嵐がおさまったあと、ノアが鳥を飛ばして陸地が現れたかどうか確かめる場面があるんですが、こんな細かいところまでそっくり。 これが、ユダヤ教に影響を与えた。 3.詩編104はアテン賛歌に酷似している 文献学的に紀元前200年ごろ成立したといわれるコヘレト伝道の書も仏教の影教であるとの指摘もあります。 4.そのほか、箴言もエジプトの王家教育文書と酷似していることが指摘されている。 箴言もエジプト王家の教育文書を写した 1920 年代に発見されたエジプト文書が、旧約の「箴言」に非常によく似ていることから、古代オリエントにおける「格言集」の研究が広まりました。旧約の「箴言」 ... それに対し、エジプトやメソポタミアの「格言集」には「王の教育のため」とはっきり書かれています。 ユダヤ人がバビロニア(ペルシャに捕囚されたときは586年~紀元前539年ゾロアスター教はペルシア人のほとんどが信奉する宗教になっていました) 5.終末」「善悪二元論」意識はゾロアスター教から学んだもので間違いありません。 光対闇、最終戦争、最後の審判、楽園…聖書の概念とそっくりだと思われませんか?ヨハネ1章5節には「光は闇の中で輝いているが、闇はこれに打ち勝っていない」という印象的な聖句がありますが、これは善を光、悪を闇になぞらえるゾロアスターの教えとそっくりです。 7.地図と絵画で読む聖書大百科』p.48 カインとアベルの争いについて「農民と遊牧民との間の争いを説明するシュメールの物語と関連づけて論じら れてきた。」とあります。また、羊飼いと農夫については創世記1章28「支配せよ」、創世記2章15「耕させ」とあり、この神の命にそれぞれ従おうとした ものと考えられると解説されています。 『世界大百科事典 4』p.679 カインCain 「遊牧民族と定住農耕民族の抗争が背景にあるともみなされている。」との記述があります シュメルのエメシュとエンテンの兄弟の物語。エメシュは夏の実りを司る者、エンテンは冬の動物の住処を司る者。この兄弟が喧嘩をして、最高神エ ンリルに仲裁を求めたところ、エンリルは弟を「神々の農夫」として兄に勝る者とし、しかし兄にも「お前の代わりはいないのだ」と諭して、仲直りをしたとい うお話です。殺人事件にならずに良かった。 8. モーセの出自に関しても、アッカド王サルゴン(紀元前2334年頃~2279年)の出生伝説から借用したものであるという説がある。この伝説はオリエント世界にはかなり知れ渡っていたようでニネベのアッシュールバニパルの図書館や、バビロンから物語が書かれた粘土板が発見されている。内容はというと・・・ 「私はシャル・キン(=サルゴン)、強い王、アッカドの王である。私の母は高位の祭司であった。 私は父親を知らないが、父親の兄弟達は山の中に住んでいた。私の生まれた街はユーフラテス川のほとりにあるAzupiranu(Safran)。高位の祭 司である私の母は、秘密裏の内に私を産み、葦とアスファルトで作られた篭にいれられると、蓋を閉めた。そして、私を川に流したので、私は自分から揚がるこ とはできなかった。 川の流れは私を”王の酌を務める役人”アキの下に連れて行き、すくいあげられた。アキによって私は彼の息子達と同様に育てられた。彼は私を庭師にした。庭師としての私は女神イシュタルに愛され・・・ 9.コヘレトは仏教の影響で生まれたという説もある。 ディロンというインド・イラン系の学者は、コヘレトに表された思想に通じるのは、世界の宗教では、仏教以外にありえないとして、この書の作者にアショカ王 による仏教布教の影響を見ようとした。当時仏教の影響が、パレスチナにまで及んでいたのはありうることである。 日本のキリスト教神学者 木田献一氏も、コヘレトの虚無主義には仏教思想の影響があったのではないかと認めています。イギリスで出版された旧約聖書の「コヘレトの言葉」の注解書で、ア ショーカ王が、紀元前3世紀に、パレスチナのアンティオキアとプトレマイオス朝のアレクサンドリアに伝道のために僧侶たちを派遣したこと、したがって、紀 元前200年頃に、すでにエルサレムでも仏教が知られていたはずだということを、ディロンという学者が述べている〔Barton, George Aaron. A Critical and Exegetical Commentary on The Book of Ecclesiastes. The International Critical Commentary. Edinburgh, T&T Clark,1912.〕。 『本 来のイエス:キリスト教の仏教起源』(1995年)と題したこの本〔Gruber, Elmar R. & Kersten Hoger. The Original Jesus: The Buddhist Sources of Christianity. Element, 1995. 現在この本は日本語に訳されて出版されています〕。ドイツとウィーンの若手の学者が二人で共同で書いています。読んでみますと、福音書のイエス様の教え は、仏教思想がその下敷きになっている グ ノーシス研究で日本でも知られているアメリカの著名な女性の学者、エレーヌ・ペイゲルズという人が、『グノーシスの福音』という本の中で〔Pagels, Elaine. The Gnostic Gospels. Penguin Books, 1979.〕、南インドで、仏教がトマス派のキリスト教と出合ったこと、その後何代にもわたって、仏教の僧侶が、エジプトのアレクサンドリアで伝道を行 なっていたことが述べてある。 歴史家のジョージ・スタンリーは彼の著書『The Origin of Pagan Idolatry Ascertained from Historical Testimony』において以下のように述べている。 イエスとブッダの間には強い類似点があり、ただの偶然としてはあり得ない ブルクハルト・シェーラーは以下のように述べた: […]福音書に対する仏教の強い影響に注意することが重要である[…]数百年以上前から、仏教の福音書に対する影響が知られ、両宗教の学者によって認められてきた。 彼はジョン・ダンカン・マーティン・デレットの研究『The Bible and the Buddhist』[18]の結論に同意し、「私は多くの仏教説話が福音書に含まれていることを確信した[17]」と書いている。 2..湖を歩いたとする記事 3..嵐を治めた記事 ブッタやクリシュナも水の上を歩いたそうです。 情念や煩悩を制した聖人であることの表明でしょう。 ブッダは、49日間悪魔の誘惑にも負けずに修行し、悟りを開いた。その6世紀後のAD26年、イエスは荒野で40日間、悪魔の誘惑に負けず、断食修行をやりとげる 5..イエスは三日目(実際は三日目ではない)に再臨した とする記事 古代宗教の神の多くが死後3日後に生き返っているようです。 イエスの死も、これを習った描写をすることで権威化・神格化しているのでしょう。


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Apolloさん
2020/09/04 07:17

「近親婚」ですね。 しかし、嫁達の異なる血があたので、アダムとエバ以降よりかは、血を濃くならないですんだのかもしれません。 ノアの子は、黄色、白、黒と各人種の先祖と言われてます。 兄弟じたいも、今の関係とは異なるのかも知れません。 あくまで推測です。


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aik********さん
2020/09/04 03:25

ノアには息子が3人いて、それぞれ妻を持っていました。 その3人の息子から人種が別れました。 昔は多産なので、すぐに増え広がるでしょうね。


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jigorokenさん
2020/09/04 02:53

1船だけでは無くて何船も世界に散りました。彼等が何処かでおち会って子孫繁栄して行ったと思います。